ぺむたとピスタット

ぺむたとピスタットの交換日記

金色の午後4時の話はまた今度

ハローぺむた。

ぺむた、そうなの、そうなんだよ。

 

知識をおすそ分けしてくれた人に会うのはとても簡単ですね。

時間も空間も壁ではなくて、

いつも生活のいろんなところにいてくれます。

 

知識は名前は目印みたいに、いろんなのを見つけやすくしてくれる気がします。

そればっかりでは楽しめないだろうけれど。

 

小屋横の道端にあった小さな実の植物は、

昨日までの、名前を知らなかったわたしでも見つけられたかもしれない。

綺麗だね、って立ち止まったかもしれない。

 

だけど、金色の午後4時を歩くとき、

ハゼラン(爆欄)を同じ場所に見つけたとき、そこには

赤い粒の実と硬いつぼみと、

名前を教えてくれた人と蛍光灯の部屋と、

図鑑をなぞる音も一緒に揺れているんです。

 

楽しいよね、それに安心します。

金色の午後はもっと金色で、

細い茎と髪を吹く風が近くなって、あったかくなります。

 

そしてそれから、わたしも、

「見てこれ綺麗!」

ってその実を持ってきた友人に名前を教えて、

いつかずっと遠くで、彼女が見る道端に、隠れていられるかも。

 

 

 

 

あ、おしごと一周年、おめでとうとお疲れ様!

 

知識があると日々が楽しくなるよね、ってぺむたが思えるのは、

きっと知識がなくても楽しめるからだと思います。

伝えることを諦めていた、と言っていたけれど、

わたしが夜眠れなくて、ブックカバーを布団の上で触っているとき、

青い朝がマンションを透かして部屋に浸りこむとき、

窓際の豆苗あたり、ぺむたがいます。

 

ほんとうに、

知識をおすそ分けしてくれた人に会うのはとても簡単ですね。

時間も空間も壁ではないし、

いつも生活のいろんなところにいてくれます。

 楽しいし、安心します。

 

 

それじゃあね!文化的貴族さん。

わたしもそれになりたいなあ。