ぺむたとピスタット

ぺむたとピスタットの交換日記

梟みつけなきゃ

ハローぺむた!
春がきたら春に生きなければいけないこと、毎年毎年飽きもせず思い知らされているピスタットから、ひさしぶりのお便りです。

日常的に結構身近に感じているからおひさしぶりな気はしないのだけれど、1年ぶりっぽいですね。

結構詳細にSNS通じて書き記しているので知っているかもしれないけれど、この1年ほどでわたしのお散歩レベルがパワーアップしました。
そう、あの鳥の後輩のおかげです。
鳥だけじゃなく、植物や虫、とにかく身の回りの世界のことぜーんぶ教えてもらいながら歩いていて、でもそれだけでもないんです。

なんかこう、もっといっぱい教えてもらっている気がするの。



わたしは大事な友人たちが遠くに越してしまうことや、これから厳しくしかならない研究生活がとにかく不安でしんどくて、4月になってしまうのが心底嫌でした。後輩にも、たぶん数千回は「ずっと3月でいい」「今が一番幸せだと思う、ずっと今日の繰り返しがいい」と話していて、だいぶ情けない人間になってた(基本年間通してそう)。

でもこの前、ちょうど3月を越えて4月に渡った時間、真っ暗の山のなかで蛙の大合唱を聞いていた帰り道、後輩はこれから増えていく虫の鳴き声や、渡ってくる鳥やかわいい雛の子育てについてひとつひとつ話してくれたんです。
そうしたら、ほんと自然に、いつものように、へぇそれは楽しみだね、見に行こうと返事をするわけです。

そう、楽しみなんです。

ああしまった、毎年毎年これだ。
いくらふさぎこんでも、寂しくなっても、もう否応なく暖かくなってきていて、視界が白っぽく眩しくて、蛙が鳴き始めたなと聴きながら、これから渡ってくる鳥のこと考えて楽しみだなと思う。
寝相もどんどん大胆に悪くなってくる。

ずっと前にも、春がきたら春に生きるしかないって話したよね。
あれ、毎年わすれては、毎年はっと気づくんです。(わたし冬のうちに記憶喪失にでもなってるんかしら。)


車での移動中、わたしたちは結構しゃべったり黙ったりします。
後輩は、
「ヒクイナ見つけないとですね、鳴き声の調査してみようと思ってて...あっそういえば千鳥の調査もしなきゃ...」と真面目なトーンで話していく。
でも急に
「...しなきゃ、って言っても、別にしなきゃいけないわけじゃないんですけど」
と笑ったので、なぜかわたしは咄嗟に
「いや、しなきゃいけないわけじゃないのにしなきゃって思ったなら、きっとしなきゃいけないんだよ!」
って、自分でもはてなが5つでてきそうな返答をしちゃった。

わたしは、誰かのためとか、将来の自分のためとか以外に、○○しなきゃ!ってあんまり思ったことなくて(歯磨きも睡眠も少し未来の自分のためだし)、だから、後輩が言うあの鳥見つけなきゃこの鳥のこと調べなきゃ、は、なんかすごく逃しちゃいけないような気がして。
にしても意味不明なことを言ってしまったなあと思って、結局わたしも笑ってたら、
「なんか、すごく納得しました、よくわからないけど」
と言われて、余計笑っちゃった。

たぶん、ちっちゃいころはあったんだよ、
そこの地面を掘らなきゃ!(あったよね)
トンネルに入ったら抜けるまで息継ぎしないで叫ばなきゃ!(これは同期に笑われた)
そういうなんのためでもない、使命感。
いや、わたしのそれはどうにも幼稚だけれど。



なんかねえ、こんな感じなの。
自分と、自分が接している世界の間のとこ、自分の気持ちの皮膚みたいなとこ、そこの手触りとかをゆっくりじっくり教えてもらっているような、思い出すような、気づくようになったような。


とにかく直近ではふくろう探しです。
夏に木の葉が繁って木の上が見えづらくなる前に、いつも鳴き声だけのふくろうを、この目で!
あとは後輩の「しなきゃいけない」を、わたしもしたい。

春に生きるしかないし、楽しみがあるからといって、今の寂しさや未来へのライトな絶望感(笑)が消えるわけじゃない。元気でもない。
でも、季節に置いていかれたりすることはなさそうです。


あ、お化粧わたしもたのしい。
dejavuの眉マスカラは皮膚につかないし眉がパリパリにならなくってよい、excelのラムレーズンっていうアイシャドウは夜明けの花、Viseeのテラコッタゴールドは夕焼けの川面です。

それじゃ、またお化粧したら見してね、バァイ。